環境が全て

環境を変えることが大切なのは当たり前だが、もう一度言いたい。

人は悪くない

上手く行かない時はうまくいく環境にいないからのことが 9 割 9 分。

最近の例だと、家でリモートワークで仕事をしなければならないのに、しない時、 ロジックとしては次を考えてた。

やる気がない => やらない

ただこの問題も結局は自分のやる気がないのではなく、自分のやる気がでない場所にいるのが原因だった。 なので、コワーキングスペースに PC を持っていけば、自ずとやり始めた。

つまりは、最も言いたいことは、人は悪くない何事においても。 聖書の言葉だと、罪を恨んで人を恨まずだ。 毎回 Who が原因だと思いがちだが、Where が問題の根因。

強化学習

機械学習の分野の強化学習は人生の縮図みたいなものだが、Environment がすべてを支配する。

残念だが当然のこと。我々は常に環境に支配されているわけだ。 つまりは、いい環境にいれば確率的にいい感じになるだろうという話。

よくある話だと、自己責任論と環境責任論。 自責にしないと反省が生まれないが、社会という視点からだと、無論、環境責任論を推す。 なぜなら、我々は制度によって縛られているから。

また、地政学の話でも同じことが言える。 南の島の人は働かないでも衣食住が確保できるが、北の人はそうはいかない。 だから、北の人は技術を発展させたということ。

動物の社会で言えば、有袋類 vs. 有胎盤類の生存競争の話だろうか。

ダーヴィンの進化論で言えば、 他者よりも強いものが生き残るのではなく、環境に変化できたものが生き残る。 ダイバシティが必要な理由もそこにある。

我々が肺呼吸する理由だって、そこに空気があるから。 当たり前の我々の存在も環境というか、自然に支配されている

また、魚が丘で無力なように、勝てる環境(ゲーム)を選ぶ必要がある。 古代文明の勃興だって、灌漑ができる大きな川があった環境によるもの。 栄える環境があるなら、そこに移動するのが正しい。

散歩したら いい ways がみつかもしれない。

まとめると、

  • 人は悪くない何事においても
  • 環境が全てを決定している
  • 勝てる環境を選ぶ